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朝日神社

 伊勢の神宮の神領地であった、清洲城下、朝日郷に鎮座されていたが、名古屋城の築城に伴い、慶長16年の夏、特に徳川家康公の請願により、正室、朝日姫様の氏神様である当神社を城下町碁盤割りの守護神として、氏子共々本丸の真南の現在地に移築遷座されました。
城下町碁盤割りの唯一の神社として、清洲越しの士民の崇敬をあつめました。
名所
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特殊の神饌

 伊勢の神宮の御園にご鎮座されていた関係で諸祭事も神宮に倣所が多く、特に三大祭と歳旦祭の神饌品は全て決められ、調理神饌とし、季節の事が考慮されて、品目が定められている。  例として中央の饌案に、先ずお箸をお供え、次に清酒、醴酒をそれぞれ三杯、盛飯を二、角餅を二、鯛、鮒、鳥肉、松茸、ミル、大根、百合根、青豆、昆布、干物、柿、塩、水を供える。  また正月は数の子、田作り、干柿、菜、など

広小路の起こり

 特に万治3年(1660年)の大火により、この碁盤割りのことごとが焼失し、武家屋敷にも類焼したため、防火帯として、道路(当時の道幅は参間)の拡幅(15間幅)を行なった。これが今の広小路通 りである。
 それまで神社仏閣の境内で行なわれてきた、小屋掛けの芝居や見せ物等の興行、露店もこの広小路通 りで行なうことが奨励された為、人の集まる所となり、広小路通りが一大繁華街となり、当神社の門前町となった。