朝日神社
伊勢の神宮の神領地であった、清洲城下、朝日郷に鎮座されていたが、名古屋城の築城に伴い、慶長16年の夏、特に徳川家康公の請願により、正室、朝日姫様の氏神様である当神社を城下町碁盤割りの守護神として、氏子共々本丸の真南の現在地に移築遷座されました。広小路の起こり
特に万治3年(1660年)の大火により、この碁盤割りのことごとが焼失し、武家屋敷にも類焼したため、防火帯として、道路(当時の道幅は参間)の拡幅(15間幅)を行なった。これが今の広小路通
りである。
それまで神社仏閣の境内で行なわれてきた、小屋掛けの芝居や見せ物等の興行、露店もこの広小路通
りで行なうことが奨励された為、人の集まる所となり、広小路通りが一大繁華街となり、当神社の門前町となった。