*織田信長*


             wikidediaより

 生没年  1534年〜1582年
出身  愛知県
 人物について ・戦国時代の三英傑として有名

・室町幕府を滅ぼし、戦国時代の終結への影響を与えた人物

・「井ノ口」から「岐阜」という名をつけた

斎藤道三は信長の義父

・幼いころに変わった行動をすることが多かったため、「うつけ(おろか)者」と呼ばれていた。

・信長は織田家の家督(家を継ぐこと)を継ぐと、今までの言動を改め織田家を統一。
信長の弟・信行を織田家の後継ぎにしようと目論む反信長派を力でねじ伏せた。

・当時もっとも勢いがあるといわれていた今川義元の大軍を桶狭間で奇襲し、その戦いに勝つとその名を全国に轟かせた。

・信長の魅力に惹かれて次々と人が集まり、どんどん拡大していく織田勢力。だが、こうなっていくと敵対する者も増えていく。
全国の大名たちが信長の首を狙って、より激しい戦いとなっていった。

・最後は、明智光秀までもが謀反を起こし信長は本能寺で自害する。
逸話
その1
父親の葬儀のときに祭壇にお香を投げつけ、そのまま帰って行った
 逸話
その2
「地球は丸い」ということを最初に理解した日本人
  逸話
その3
義父である道三と会見したとき、初めはうつけスタイルで来ていたが、会見が始めると正装に着替え、道三に自らの器量の大きさを見せつけた。
逸話
その4
信長自らが天人の衣装をまとい、小鼓をうち、女踊りをしたのだという。
この踊りをみて、お年寄りの方々は感涙したそうだ。(信長公記より)

       

   信長はよく厳しい性格であると思われているが、 甘い面や、義理堅いところがあるそうだ。


                                           

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