震度:最大7


どのような地震だったか
阪神・淡路大震災は、1995年1月17日の早朝5時に起こった都市直下地震である。
近畿圏の広域(兵庫県を中心とし、大阪や京都など)で大きな被害をうけた。戦後で発生した地震としては、東日本大震災に次ぐ規模である。
地震による揺れは、阪神間、および淡路島で震度7を計測したほか、福島県から長崎県にまで有感(揺れを体感した)となった。
戦後に発生した地震としては上記した通り、当時としては最大のものである。、被害の特徴としては、都市の直下で起こった地震による災害であることが関係していると思われる。ちなみに、気象庁により名づけられた当初は、「阪神・淡路大震災」ではなく、「兵庫県南部地震」と命名されている。
死者・行方不明者・負傷者
この地震における死者は、約6500人。行方不明者は3人で負傷者は4万人にものぼる。
火災による焼死者が10万人にものぼった関東大震災とくらべると、この地震は都市の直下に位置する断層により生じた地震であり、かつ、発生した時間が朝の5時であったため、自宅の崩壊による圧死の死者などが多かった。
この地震では、地震発生から死亡するまでの時間がとても短く、やはり建物の崩壊により、即死となる場合が多かった。
また、建物の被害も多く、超高層ビルなどは概ね無事であったが、古い中層ビルなどが”日本ではありえない”とされていたパンケーキクラッシュ(ホーム参照)が発生している。
どのような影響があったか
この地震が発生してから、道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などのライフスタイルは寸断され、広範囲において機能しなくなった。
また、阪神高速道路の倒壊は、震災の甚大な被害を象徴するものとして、世界各地でも大きく報道された。崩落した高速道路と、辛うじてのこった部分との境に取り残された高速バスの写真は、誰もが一度は見たことあるのではないでしょうか。
阪神・淡路大震災にかんしては、全国からさまざまな形の「救援・支援」が寄せられた。