東南海地震(安政東海・南海地震)

震度:最大で7(駿河・甲斐)


・どのような地震だったか(安政東海地震)

東海地震(安政東海地震)は、江戸時代後期の1854年12月23日に発生した東海地震である。
この地震は、濃尾地震とは違う海溝型地震であり、逆断層型という種類に分類される。
また、南海トラフ巨大地震のひとつであり、この地震の約32時間後に発生した安政南海地震と共に安政地震・安政大地震と総称され、これら2つの地震を、東南海地震と呼んでいる。
安政南海地震の2日後には豊予海峡で豊予海峡地震が発生している。また、翌年には安政江戸地震がおきた。東南海地震と、この安政江戸地震を合わせて安政三大地震と呼ばれている。そして、これら一連の地震を安政の大地震という。

・死者・負傷者の数

死者はおよそ2〜3千人といわれている。(かなり過去の地震であるため、負傷者などは分からない)
この地震では、地震・津波を合わせて潰れ、焼却された家屋が約3万軒にのぼる。震源近くは人里離れた地区であったため、とても大きな被害は出なかったが、立て続けに起こった安政大江戸地震では、死者は1万人に達している。

・どのような影響があったか

これらの地震の被害は、主に四国・中国地方から関東地方にかけてまでと、とても広い範囲で影響を及ぼしている。この地震では、東海道筋を中心に、各地で火災が発生した。家屋倒壊・焼失は著しく、甲府盆地も被害が甚大であった。
この地震の後には、宝永地震の後の宝永大噴火のような富士山の噴火はなかったが、小規模な地震を示唆するような記録も残されている。
また、津波による被害も多く発生している。房総半島沿岸から土佐にかけてまで激しい津波におそわれ、伊豆下田から熊野灘までが特に著しかった。
伊豆・熱海ではなんとアワビが流れ着いた、などと文献に書かれている。