---------長良川の戦い*





↑長良川の戦いがあったとされる場所

 年月日  1556年4月
 場所  岐阜市内の長良川
 結果  斎藤義龍(よしたつ)の勝利
 戦いについて 美濃を治めていた斎藤道三が、その息子・義龍に家督を譲った(家を継ぐ・後継ぎの意味)がそのあとに2人の仲が悪くなり、ついには道三は義龍の弟に家督を譲ろうと考えはじめた。

この動きに気付いた義龍は、2人の弟を今の金華山にあった屋敷に呼び寄せ、暗殺。これをきっかけに争いが始まった。

義龍軍が17,500人に対し道三軍が2,700で義龍軍が有利だったとされている。

信長も援軍に駆け付けたものの、間に合わず道三は討死する。
アクセス方法  ※長良川の戦いについては詳しい場所がわかっていないので、大体の位置、またそれに関連のある所について紹介します。


*崇福寺
道三はこのお寺の門の前で討死した、という説があります。
このお寺は、織田信長の遺品が埋められているそうです。

《住所》
岐阜県岐阜市長良福光2403−1

《バス》
JR岐阜駅または名鉄岐阜駅から岐阜バス「市内ループ左回り」で20分 片道200円
「長良川国際会議場北口」下車 徒歩3分

《地図》




*道三塚
最初は道三の遺体は崇福寺の西南に埋葬されたが、洪水のたびに塚が流されたため、現在碑があるところは実際の場所から少し移動しています。

《住所》
岐阜県岐阜市長良福光

《バス》
岐阜バス 三田洞線 三田洞団地行き
「岐阜メモリアルセンター正門前」下車、徒歩約8分
片道200円


《地図》


家具のツチダさんが目印です。



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